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シャネル

シャネルは、愛用者を「シャネラー」と呼ぶ言葉を作り出すほど、一度魅力に取り付かれたらやめることのできない、非常に人気がある世界的ファッションブランドの1つです。そんなシャネルのファッションの魅力を語る上で、切っても切れないのが、シャネルを生み出したココ・シャネルの存在です。ココ・シャネルは、本名をガブリエル・シャネルといい、1883年から1971年までを駆け抜けた一人の女性です。彼女には、第1次世界大戦や第2次世界大戦という大きな戦争によって自らの運命を左右されながらも、スキャンダラスに、奔放に生き抜いたというイメージがあり、その「自由」や「解放」というファッションのキーワードが世の女性たちに大いに支持されていました。

それまでの女性のファッションといえば、コルセットに代表されるように拘束され、窮屈なものだったのですが、ココ・シャネルは、女性のファッションからコルセットをなくし、男性のファッションと同様にパンツを取り入れました。そして女性のファッションに新しく、「機能性」というキーワードを組み入れました。例えば、男性用の下着素材として使われていたジャージー素材を使って多くの洋服をデザインしたり、ただの飾りにしか過ぎなかったポケットやボタンに機能性を持たせたり、膝丈までのスカートと上下が分かれているスーツスタイルを発表したりしたことにも、それは現れています。現在でもシャネルというファッションブランドのポリシーとなっているのは、「古い価値にとらわれない女性像」というもので、ココ・シャネル亡き後も、彼女の生き様や魅力を大いに引き継いだものが発表されているということがよくわかります。ただ、ココ・シャネル自身は「男性に支配される女性を排除し、女性の心と体を解放しよう」ということを意識して行なっていたわけではなく、彼女は単に「女性のための働きやすい服装を」というポリシーのもと、女性のファッションをデザインしていたといわれています。またココ・シャネルは、女性のファッションとして洋服だけでなく、香水も重要視していました。マリリン・モンローが愛用し、世界的に有名な香水ともなっている「No.5」は1921年5月5日に発売されたものですが、90年近く経った現在でも、「シャネルの5番」といえば香水の憧れのような位置になっています。このシャネルの「No.5」は、アルデヒドを大胆に使用した香水で、これは当時としては非常に画期的なものとなっていました。さらに、それまでは黒い服といえば喪服としてでしか使用されていなかったのですが、ココ・シャネルはそれをかわいくデザインし、ドレスとして発表します。現在では多くのデザイナーが普通に黒のドレスをデザインしていますが、ファッション界に黒いドレスを持ち込んだのは、ココ・シャネルが初めてでした。このようにココ・シャネルは、機能性とファッション性を重視した洋服を生み出すだけでなく、それまではファッションには取り入れられていなかったものやタブーとされてきているものを積極的にファッションに取り入れていました。このような生き様が、女性たちの絶大な支持を受け、シャネルというファッションブランドを発展させていったのでしょう。

ただ、ココ・シャネルは第2次世界大戦中、フランスにいながらも、当時占領していたドイツ軍の将校と愛人関係になったため、フランスではなかなか受け入れられない存在でした。第2次世界大戦後もココ・シャネルはスイスに亡命していたように、フランスからは売国奴として扱われていたのですが、彼女のファッションがアメリカで評価されるようになってからは、徐々にフランスでも受け入れられていくようになりました。しかし、彼女のお墓は、フランスでは高級墓地への埋葬が認められなかったためにスイスにあるということからは、彼女のフランスでの根強い反感が伺われます。 とはいえ、シャネルが世界中の女性からの支持を集めているファッションブランドであるということは変わりません。そしてまた今後も、それは変わることはないといえるでしょう。

最終更新日:2016/3/30